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庭とは





少し前にひょんなことから、弟子たちと「庭とは」という話しになりました。

庭にたずさわる者として、もちろん漠然と日常的に考えていることではあるのですが、我々の職業的には当たり前すぎるほど当たり前の問いや思考であるがゆえにかえってなかなか面白く、その会話の流れで弟子たちに「庭とは」というお題でレポートのようなものを書いてもらいました。 提出してもらったレポートはそれぞれの性格や考え方、感性がわかりやすくあらわれていて、そういう意味でとても興味深く面白いものでした。


弟子たちには時々そのような話をするのですが、あらゆる人の営み、行為の中にはどこにでも哲学や思考の扉があり、そういった営みを通して深く世界を認識すること、真理を探求することができる。そして、それが創造や労働の意味や価値でもあり、喜びだと私は思います。

稲を育てる行為の内に、絵を描く行為の内に、木を植える行為の内に。

縁があり、庭にたずさわることになったからには、弟子たちには庭を通して哲学をしてもらいたいと思っています。


「庭」とは

端境の意識。空白 骨壷 祈り 神への反逆の精神 異界 人の世からみた庭 神よりみた庭 有機的無機的 観念 自然 観念的な視点 実在 境界 せめぎあう場所 神や自然こそが実在であり、人の世こそが観念であった。 本質的には無機的、観念的に空白地帯。 そもそもが自然の拒絶による成立。 身近な世界の捉え方が3重構造 飼い慣らされた自然ではなく、生命のさざめきを消し去った後にたち現れる世界。 そもそも生命に体する恐れがあったのだろうか? 自然に対する恐れとは生命に対する恐れだったのだろうか? 命の外や、奥深くにある世界を感じ恐れていたのでは?命ではなく、命の源を。生命の対義語としての死 観念が生命(神)に侵食されていく。 アンコールワット ピラミッド 古代遺跡 意識が消失ではなく停止 時間 永遠への逃避 生命の時間外にしか永遠はたち現れない 生命とは変わり続けるもの ある種の輪廻 真空状態にこそ永遠、解脱がある 拮抗した場にどこでもない異界がたち現れる


私も「庭とは」と思考し、文章にするつもりでしたが、メモのままで。





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