
庭のデザインと雑木の庭3
雑木の庭に関してみてみると、現代においての住環境、自然環境の変化により前記の古典的な中景を主とした庭の構造において生じてしまう問題点を一定程度解決するものであり、その構造はむしろ庭の構成物を近距離でみることに、より魅力を増すものでもある。近景ゆえに落葉樹を主体とした雑木の細かい枝先のやわらかさや葉のテクスチャーの違い、新緑から紅葉まで様々な樹種の違いにより微妙な色の違いまでを見て感じさせることができ、建築物近くへ落葉高木を配することにより季節に合わせて建築空間への日照量を自然にコントロールすることができる。 また奥行きが狭く水平方向への建築空間、植栽空間の制限の多い現代において建築物はかつて主として平屋だったものが二階家、三階家へと変化しており、それに連動して庭空間も垂直方向への植栽のボリュームを作ることに必然性、必要性が生じました。それはまた、雑木の庭の生態的、美的要素に適ったことであり、そのような意味においても現代の特に住宅の庭においては雑木を主体とした庭に一定の必然性があるのかと思います。 また、誤解のないように書き加えておきますと、当然の

庭のデザインと雑木の庭2
現在、私が多く手がける庭に雑木を使い野山の景色を切り取ったかのような、いわゆる雑木の庭があります。 前述したように、私自身としてはその場の必然より導きだされたデザインや構成に基づいて庭づくりを考えていますが、私の実際の庭づくりにおいても、また現代における都市部の庭づくりにおいても雑木を使った庭が主流になりつつあるかと思います。そのことには流行りと言う言葉でかたづけられるものではなく、やはりある種の必然性があってのことかと思います。 結論を端的に言うと、雑木の庭とは都市化が進んだことにより個人の所有する敷地が小さくなったことが大きな要因となって生まれた現代の庭園様式だと言えるかと思います。 近代までの日本の庭の基本構成を考えてみると、坪庭や露地の庭を別として、建築物からの視点より周囲の自然環境を遠景として切り取り、その切り取られた遠景を背景にして中景としての庭を主として構成されてきました。 建築物から庭の全体を見渡せる距離に構成された中景に庭としての力点が置かれたことにより、庭石の配置や園路、植栽などによる構成美に庭づくりの主眼が置かれ、そこで使わ

庭のデザインと雑木の庭1
私はよく弟子たちに「庭のデザインはその場の必然性で7割は決まる」というようなことをいっているように思います。もちろん、7割というのは私の個人的な感覚であり厳密な意味でははありませんし、何をもって必然というのか?というものは個々人の物事のとらえかたによって大きく変わるものではあります。 生来、庭というものは単体で成立しうるものではなく、ひとつには建築物を主とした特定の構造物もしくは空間の延長線上に存在するものであり、また、もうひとつにはネイティブアメリカンの言うところの大地に属するものであり、その土地の自然環境や風土に依る存在であると思います。 そのことから、当然のことではありますが、そのような特定の場において構造的、実用的な環境要因とその場を取り巻く生態的な環境要因を読み解き、そこに文化的要因や作り手と施主のパーソナリティが掛け合わされることによってその場における庭のデザインや構成が7割くらいは導き出されるものかと私は思います。 もちろん、人それぞれに感受性の違いにより、その場の必然を探るうえで、その場における環境の読み手の数だけ必然性があり、絶